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『長崎新聞小槻支局長と西海市』~西海支局の3年間を振り返って~

西海市民はもちろん、長崎県民の多くが読んでいる長崎新聞。

「あ!長崎新聞に西海市のことが載ってる!」

と地元ネタに注目した経験ありますよね。

西海市の記事は、誰が書いているか知っていますか?

 

 

西海市ネタのプロ!長崎新聞西海支局・小槻憲吾(こつき けんご)さん

長崎新聞において西海市のローカル記事を書いているのは、長崎新聞西海支局。

平成27年から西海支局長を務める小槻憲吾さん。

現在に至るまでの経緯

同志社大学で、新聞学を専攻。

卒業後、長崎新聞社入社。

新任での配属先は、報道部。

その後、広報部や佐世保支局に。

平成27年に西海支局に配属。

新聞記者になろうと思ったきっかけ

「実は、大学1〜2年は他大学の英文学科専攻だったんです。3年から、同志社大学に編入しました。」

当時、ワイドショーで偏ったニュースを見て、違和感を感じたそうです。

「もっと伝えるべきことがあるのではないか。」

そう思い、メディアについて学びはじめたとのこと。

新聞記者としての難しさ

新聞記者になって約7年。毎日のように、記事を書いている小槻さんですが、

「今でも、記事を書くことは難しいです。」

「何を伝えたいのか、イメージしながら取材します。限られた桁数の中で必要なことを聞き出し、イメージしたことをしっかり記事で表現しなければなりません。」

短くコンパクトでありながら、分かりやすさが求められる新聞記事。

当たり前のように読んでいる新聞ですが、記者の努力により、私たちは端的に情報を得ることができているのですね!

新聞記者としてのやりがい

「西海支局として、『新聞記事を見て、ここ(西海市のある場所やイベント)に来ました!』ということを聞くと、嬉しいですね。」

自分が書いた記事が、西海市に人を呼び込む一助になり得たときに、やりがいを感じるということです。

 

 

地方記者ならでは!?西海支局長のお仕事

ひとりで広範囲を扱う西海支局

「 西海支局の記者は自分のみ。行政、事件・事故、スポーツ、イベントなどを西海市全域網羅しなければなりません。」

佐世保支局では5〜6人で役割分担していたことを、西海支局では全てひとりで。

また、事件・事故などいつ起こるかわからないため、24時間体制。

夜に火事のサイレンが鳴れば、寝ていてもすぐに起きて現場に。

パトカーの音が聞こえれば、警察に連絡して駆けつけるという日々。

とてもハードなお仕事です!

支局ならではの地域へのアプローチ

「西海市は長崎県内の他地域より人口が少ない分、地域の方々との距離は近くなりますね。」

市民や関係機関と良好な人間関係を築くことは、円滑な取材や情報収集につながっているとのこと。

物腰柔らかく、親しみのもてる雰囲気の小槻さん。

その所以は、彼が仕事をする上で、

「人とのコミュニケーションがなにより大切。」

という思いをもっているからではないでしょうか。

 

 

 

西海市で新聞記者として過ごした3年間

実は小槻さん、この度異動が決まり4月から西海市を離れることになりました。

西海市での思い出についてうかがうと、

「西海市の色々な場所へ行き、色々な人に会いました。しかし、記者としてというより、個人的に心に残る思い出があります。それは、息子の初節句を祝っていただいたことです。」

小槻さんは、地域の町おこしグループである「オヤジ夜究教室」に所属。息子さんの初節句のとき、グループのメンバーから大きな鯉のぼりをあげてもらったり、公民館で手料理による宴席を設けてもらったり、盛大にお祝いしてもらったということ。

「私的なことを、自分たちのことのように喜んでいただき、温かく祝ってもらいました。とても嬉しく、今までにない貴重な経験でした。」

と当時を振り返るように、ほころんだ表情。

「西海市の人は、本当に温かい人ばかり。」

小槻さんは、西海市で多くの人に出会い、西海市は”人の宝庫”と感じていると言います。

後半では、この人の宝庫"をテーマに、小槻さんが書いた新聞記事を通してお話をうかがいました。

後半に続く…

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