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小学生ライターが書きました!身近にある戦争遺跡を巡って〜私たちが調べた平和学習〜

こんにちは、ばりぐっど編集部です。以前、「平和学習に取り組んだ6年生の発表〜西海市立ときわ台小学校〜」でご紹介した、ライターの仕事に興味を持ってくれた6年生の一人が、身近な戦争遺跡についてまとめた記事を執筆してくれました。
小学生ライターのデビュー記事、ぜひご一読ください!


令和7年8月9日は、長崎に原爆が落とされてから80周年になります。私たちときわ台小学校の6年生5名は、平和学習を目的に西海市と佐世保市にある、第二次世界大戦に関係がある3ヶ所の戦争遺跡を調べました。

三本の塔が立つ針尾無線電信所(はりおむせんでんしんじょ)

新西海橋公園から見える三本の無線塔

皆さんは、針尾無線電信所を見たことがありますか?一見ただの三本の塔に見えますが、実はかなりすごいんです!

まずは、その塔の高さです。三本の高さの平均は約136メートルあります!136メートルと言われても想像がつきませんよね。実はシン・ゴジラよりも17.5メートル高いんです!

しかも、80年前には高い塔を作るための機械がなかったので、この三本の塔はすべて手作りで、1918年から1922年の4年間かかって造られました!かかった総工費は当時155万円で、現在でいうと約250億円なんです。すごいですよね!

ところで、針尾無線電信所が中継した「ニイタカヤマノボレ1208」のことを知っていますか?日本がアメリカを襲撃するという意味の暗号「ニイタカヤマノボレ」を、アメリカ太平洋艦隊への攻撃伝達としてこの針尾無線電信所から送ったことから、第二次世界大戦が始まったと言われています。今でも、針尾無線電信所には海上自衛隊の基地があります。

【針尾無線電信所】長崎県佐世保市針尾中町382番地

戦争が終わって日本に帰ってきた人たち。浦頭引揚場(うらがしらひきあげじょう)

(画像:浦頭引揚記念資料館 佐世保海風の国より https://www.sasebo99.com/)

引揚(ひきあげ)とは、戦争に行っていた軍人・現地で仕事に行っていた人が、戦争が終わり日本に帰ってくることを言います。

第二次世界大戦が8月15日に終戦となり、戦地から約629万人の人が日本に帰ってきました。長崎県には佐世保に日本海軍の基地があったため、長崎にも139万6468人の人が引揚げてきた記録が残っています。その多くは、中国から帰ってきました。

引揚げてきた約139万の人たちの中には、栄養失調や下痢、皮膚病、敗戦の失意などで疲れ果てていたり、健康状態が悪化している人が多かったそうです。

引揚者の様子(浦頭引揚記念資料館の資料より)

浦頭引揚場は、西海市のすぐ隣の佐世保市針尾北町(はりおきたまち)にあります。引揚げてきた人たちは、港に着くと検疫を受け、検疫が終わると引揚者は約7キロメートルの道を歩いて引揚援護局という、少しの間保護をしてくれる場所へ向かいます。そこへ着いたあとは、引揚げ手続きを済ませ、必要最低限の生活必需品の支給を受け、数日泊まった後に、現在の佐世保市南風崎町(はえのさきちょう)あたりにある南風崎駅に向かい、自分たちの故郷へ帰ります。

ちなみに、引揚援護局の人たちは「引揚げる人の身になれこの援護」を合言葉に活動をしました。人が多い時には、24時間不眠不休で活動に当たりました。引き揚げてきた人たちは、現地の歌を歌いながら港を離れたり、戦友のことを思い軍歌を歌い、日本に戻って来た人たちが多かったそうです。

【浦頭引揚記念資料館】長崎県佐世保市針尾北町824

2年間掘り続けられた防空壕、無窮洞(むきゅうどう)

(画像:佐世保海風の国より https://www.sasebo99.com/)

はじめに、無窮洞の名前の意味を説明します。「無窮」とは、限りがないという意味。「洞」は洞窟や穴という意味で、その2つを組み合わせて「子どもたちの無限の夢」を願い名付けられました。

無窮洞は、第二次世界大戦中に旧宮村国民学校(現佐世保市立宮小学校)の裏手に、防空壕として掘られました。当時の校長の発案で昭和18年(1943)から昭和20年(1945)8月15日の終戦の日まで掘り続けられ、未だ未完成です。

凝灰岩をくり抜いた主洞は幅5メートル、奥行き19メートルの大きさがあり、教壇を備えています。副洞は幅3メートル、奥行き15メートルの大きさがあり、他に書類室や台所、便所、避難道(非常階段)なども造られています。

このとても広い防空壕を掘ったのが、先生に指導された高等部(現在の中学生)の生徒たちでした。男子がつるはしなどで掘り、女子が形を整え、下級生が運び出しを担当しました。空襲のときには、全校生徒約600人が避難しましたが、酸欠状態になったために、農家から「唐み(農具の一種)」を借り出し、入口から空気を送ったというエピソードもあります。

【無窮洞】長崎県佐世保市城間町

戦争の跡は身近にある

戦争のことを学習する際に、戦争が起きる前や戦争の概要などについて学習するのではないでしょうか。ですが、身近にある戦争跡地に行くと、戦争は軍人などの戦っている人だけではなく、それ以外にも通信電信所が造られたことや、引揚場での人々の様子、学校で造られた防空壕などに注目すると、いろいろな人たちにも影響があったことがわかってとても興味深く感じました。

最後に

小学6年生ライターが書いてくれた記事、いかがでしたか?ばりぐっどでは取り上げたことがない「戦争遺跡」というテーマで、取材で調べたこと、自分が感じたことなどがわかりやすくまとめてありました。みなさんも、身近なところにこのような戦争遺跡があったことを、改めて知る機会になったのではないでしょうか。

最後に、西海市のこんなところが好き!素敵な場所に行ったよ!西海市のことを知ってほしい!など、発信してみたいなと思った方!どんな年代でもOK!みなさんの目線から見える、そして肌で感じる「西海市」をぜひ、このばりぐっどで発信してみませんか?

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