楽しかった夏休みもあとわずか。
小中学生をお持ちのお母さま方の辛抱も、あとわずか。
我が家はおかげ様で、そんな過去を乗り越えての現在、とても心穏やかに7月8月を終えようとしている。
あの頃、子ども達に『夏休みの宿題』をさせるという最大のミッションは、自分の身をも限界に追い込む恐ろしいものだったと、
あの『夏休み・死の2日間戦争』 今年も思い出しても恐ろしさに身震いをする。
今は本当に本当に心穏やかに過ごせる幸せを噛みしめている。
すでに新学期が始まっているという学校もあるようだが、夏休みギリギリまで楽しんで、2学期、気持ち新たに頑張りましょう!
さて、話は全く変わるが、今回の本題は我が家の旦那様は・・・
音痴だ
という話である。しかも『ソレ』に気づいてないという厄介なやつである。
いや、薄々気付いてはいるが、その『音痴』の意味がよくわかっていないみたいなので、そこが厄介なのだ。
何をもって『音痴』というのか、よくわかってらっしゃらない。
そう、なぜ今回『旦那の音痴』について話をしようと思ったかというと、
彼にお気に入りのSongができたからである
お気に入りの曲が出来ると、やはり自分でも歌いたくなるらしく、毎晩食後のリラックスタイムになると、ソファーに横たわり、スマホでそのお気に入りの曲を流しながら、いつのまにか自分も口ずさんでいる。
私があまりにも「え?音程合ってないよ!」とバカにするので、鼻歌くらいの音量で控えめに歌うのだが、音程が合っていないので、いくら小さな声で歌っても、気になってしょうがない。
しかも、音程が合っていないことを彼は、
『ハモっている』と言い張る。
「オイはハモって歌いよると!」と堂々と言うのだ。
普通、曲をハモれば、うっとり心地よくなるはずだが、旦那の言う『ハモり』は単に音程がズレているだけなので、
耳がざわついてしょうがない。
そして今、彼のマイブームは『米津玄師』。
しばらくは『lemon』にハマっていたが、最近はドラマの主題歌の『馬と鹿』に夢中である。
毎晩、私は米津玄師と旦那のデュエットをありがたく聞かせていただいている。
だいたい『音痴』の概念がわからない旦那に、何をどこからどのように説明すれば理解していただけるのか当面私の課題だが、もちろん彼氏彼女の時代から『ん?もしや?』という疑惑はあった。「こいつ音痴じゃね?」という疑いは何十年も前からあったのだ。
しかしそこはまだ彼氏彼女の関係であり『傷つけてはいけない』という私の優しい優しい気づかいによって、ずっと伏せてきた事実である。
今は家の外で旦那が笑い者にならないように、あえて厳しく指導をしているつもりなのだが・・・。
彼が歌えば『米津玄師』を飛び越え、独特の音階で歌詞を遊ばせる。
ハッキリ言うと、旦那の音域は狭くて高音が出ないから、音階の上がり下がりがない。(笑)
独特の音階で歌詞を遊ばせるしかないのだ。
なのでカラオケで歌を歌うときには「音階を半音、もしくは一音下げて歌いなさい」とアドバイスをする。
しかし彼は、自分が高音が出ないことも『?』。「半音」「一音」下げるという意味も『?』。相当に手強い。
しかし! やっと今年になって「あぁ、なんとなく意味のわかった!」とのこと。
数年に渡り、ずっと説明してきた私の努力が報われた。
そう、キミは歌詞を遊ばせる人なんだよ・・・。
決して旦那を『音痴』だからとディスってる訳ではない。
何かしらの流れで職場のみなさんとカラオケに行くこともあると思われる。その時、このままではきっと米津玄師を飛び越え、歌詞を遊ばせるであろう旦那に、職場のみなさんがついて来れるかの懸念があるのだ。
そこをうまく回避させ、旦那の『音痴』をみなさんに気付かせることなく、穏便に済ませるのが妻の役目。
しかし、一つ不思議なことがある。
歌手と一緒に歌うと、歌い出しから歌詞を遊ばせるくせに、カラオケになると、以外と音程を外さず歌えるというミラクルを起こすのだ!
若干不安定ではあるが、ちゃんと音符に合わせて歌っている。
これは紛れもなく海近家『七不思議』のうちの1つである。ギャ~!
そんなこともあって、ガッツリ音を外して歌っても、自分は「ハモっているんだ!」と強気な姿勢を崩さない。
一度、『ハモる』をググってみてほしい・・・。
今、旦那の頭の中は『カラオケマイク』のことでいっぱいである。
カラオケマイクが欲しい
それが口癖。 ジャパネットたかたのカタログを見ては閉じ、見ては閉じ。でもいくら近所に家はないとはいえ、
ジャイアンのリサイタル
は、いささか考えものである。
そういえば昔、小迎にカラオケボックスがあったのを懐かしく思い出した。結構家族で通ったものだ。
カラオケボックスがあったらなぁ・・・。私の耳はざわつくこともなく、旦那は思う存分米津玄師とデュエットしていいのに。
ここにきて、カラオケボックスのありがたみをヒシヒシと心底感じる住子なのであった。