ようこそ、レコー道を楽しむための大人時間へ。ばりぐっど編集部大崎支局の”ベーヤン”です。
『大人のレコー道』エピローグでは便利なデジタル時代の音楽とアナログ時代の音楽の話でした。
いかがでしたか?懐かしい思い出がよみがえりましたか?
それとも知らない時代の話でしたか?
Contents
さあ、今宵は初期のレコードのお話をいたしましょう。
レコードの歴史に欠かせない人物の1人に皆さんご存知の『発明王エジソン』がいます。
エジソンの発明は1600ほどあるそうで、京都の竹を使った白熱電球や動画撮影機、電話の実用化とその時相手に呼び掛けに「ハロー」と言ったのもエジソンだそうです。………そして当時のレコードには無くてはならない蓄音機。
その蓄音器にまつわる「もう一人の彼」の話をいたしましょう。
1884年、彼はイギリスに生まれました。
やんちゃな性格でしたが、自分からは喧嘩を仕掛けることは決してありませんでした。
でも、売られた喧嘩は買います。そして必ず勝っていました。
彼は客人の足を噛む癖があったためNipper(nip=噛む・はさむ)ニッパーとよばれていました。
彼の最初の主人はイギリスの風景画家マーク・ヘンリー・バロウド。
3年後にマークが死去し、弟の画家フランシス・バロウドが彼の新しい主人になります。
ある日、彼は3年間暮らした亡き前主人マークの声を聞きます。それは蓄音器から聞こえる声でした。
彼は不思議そうに蓄音器をのぞき込み、その心温まる姿を弟のフランシスが描きました。
その描かれた絵が、米国ビクタートーキングマシーンの商標として1900年に登録されます。彼は『ビクター犬ニッパー』として知られる事になったのです。
首を傾げて蓄音機から流れる亡き主人の声を聴いているその姿は、置物や、写真などで見たことがあるのではないでしょうか?
そして当初の絵の蓄音機こそエジソン発明の円筒型蓄音機(フォノグラフ)でした。
西海市にある「音浴博物館」では、この蓄音機で使われた筒型レコードの仕組みを詳しく説明してもらえます。
簡単に言うと、紙コップの先に針を付けて、円筒型レコードを回転しながら筋を付け「録音」し、その筋を針でなぞると「再生」出来ると言うもの。
エジソンの活気的な再生の発明よって、録音した声を聞くことが出来るようになりました。
音浴博物館にあるエジソン式手回し蓄音器と円筒型レコードは、レプリカではなく100年前の本物。
今でも現役で動いていて聴くことが出来ます。
それから10年ほど後に1887年(明治20年)エミール・ベルリナーという人の円盤型のレコードが出現しました。
平らな円盤型のためかさばらず、量産化出来たことでエジソンの筒型よりも普及しました。この蓄音器(グラモフォン)は日本でも生産されています。
皆さんがご存知のレコード盤と同じ形の誕生です。
日本でも量産されたこのレコードはその後のレコードと区別してSP(スタンダードプレイ)盤と呼びます
日本では1889年(明治22年)、鹿鳴館で初のお披露目があったそうで、蓄音機でレコードを楽しむモダンな大人時間が始まったのです。
厚みも重量感もあるSP盤レコードは、78回転で約3~5分くらいの長さで再生されました。
1936年(昭和11年)日本女子水泳初の金メダル「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」でお馴染みのベルリンオリンピックの実況もSPレコードで残っていて、今でも聴くことが出来ます。
蓄音機もレコードも一家に一台とまではいきませんが、庶民にもレコードを聞く機会が増えてきました。
今のオーディオに繋がる進化は針と磁石の合体です。これにより発電ができ、電気蓄音機が生まれました。
世界では、音楽のジャンルや、ターゲットによって音楽レーベル(レコード会社及び事業部門)ができはじめます。
皆さんご存知のEMI.コロンビア.ビクターなどの源流が生れ、現在へと続いてます。
日本でも、クラッシックやジャズ、童謡、浪曲、昭和歌謡などたくさんの音楽が聴ける様になりました。
さあ、いよいよレコードの時代です。
レコードの道にあなたも足を踏み入れましたね。
1度レコードを聴いてみたい気持ちになりませんか?
興味がわいてきたあなたに、是非おすすめしたい場所があります。
『西海市大瀬戸音浴博物館』がその場所で、今回の話にある当時の蓄音機やレコードを実際に触ったり聴いたり出来ます。
もっと詳しくレコー道にハマりたい方にもおすすめです。
詳しくはこちらをどうぞ。
秘境の温泉に行くように、ワクワクしながら訪ねてみて下さい。
では本章はこの辺で…。
次回はもう生産が終わってしまったレコードの話です。