こんにちは、ばりぐっど編集部です。8月9日の登校日に、西海市立ときわ台小学校(楠本正信校長・生徒数175名)6年生の5名が、身近にある戦争遺跡について調べたことを平和集会で発表しました。
今回、平和学習に取り組んだ子どもたちが、取材の方法を知り、戦争遺跡を訪れて、平和集会で発表する様子を取材させていただきました。
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ライターの仕事を知り、取材に活かしてみよう!
7月のある日。「ライターの仕事や取材の方法について、子どもたちに教えてください」と、6年生担任の増本渚先生からご連絡をいただき、ときわ台小学校へ。
平和学習の発表をするチーム(以下、平和班)の子どもたちに、ライターの仕事とは、ライティングのお話、どうやって取材をしているのか、取材の時に準備するもの、写真の撮り方など、基本的なお話をしました。

最初は少し緊張気味だった平和班でしたが、先生や仲間と「どんなことを取材する?」「身近な場所にも戦争の史跡があるよ」「それいいね!」など、いろいろなアイデアを出し合っていました。
少しずつ平和学習の方向性が見えてきた子どもたち。お互いの発言がさらに活発になり、こちらまでワクワクが伝わってきました!
戦争遺跡を訪ね、学びを深める

取材について学んだ平和班は、夏休み中に戦争遺跡を取材しました。
西海市と近隣にある3ヶ所の戦争遺跡を訪れ、その建物や雰囲気を体感したり、ガイドの方の話を聞いて、戦争の歴史や人々の思いを学びました。
また、長崎市の平和公園を訪れるなど、保護者の協力も得て発表の準備を進めました。
いよいよ本番!8月9日の平和集会で発表
平和班の子どもたちは「私たちに身近な戦争遺跡をめぐる」と題して、3ヶ所の戦争遺跡について発表しました。
1.針尾無線電信所(はりおむせんでんしんしょ)

佐世保市と西海市をつなぐ西海橋からよく見える大きな三本柱。1本の高さが約136m、機械がない時代にすべて手作りで作られた、総工費が現在の約250億円など、構造物について調べたことや、攻撃の暗号文を送った電信所だったことを発表しました。
2.浦頭引揚場(うらがしらひきあげじょう)

戦争が終わってから、約629万人の日本人が引き揚げてきたこと、引揚後に検疫があったり、家に帰る手続きなど、引揚援護局の人たちが引揚者を早く故郷へ帰るように活動していたことなどを発表しました。
3.無窮洞(むきゅうどう)

戦争中でも授業や生活ができるようにと、旧宮村国民学校の防空壕として当時の中学生が中心となって手掘りで作られたこと、実際に中へ入るととても涼しかった、600人の子どもたちが避難できるように作られたことなどを発表しました。
平和学習を通して考えたこと

戦争というと、どこか遠いところの出来事として捉えてしまいがちですが、身近にある戦争遺跡をめぐったことで、子どもたちはそこに人のくらしがあったことを知り、「自分たちができる小さなことをしていく」と、平和学習を通して考えたことを伝えました。

発表を終えた平和班のみなさん、「緊張したけど、楽しかった!」「戦争の話を聞いて頑張った人々の姿を感じ、伝えられたことに達成感がある。今後も生かしたい」「意外と頑張れた。みんなの反応があってリアルを伝えられた」と、感想を話してくれました。
今回の取り組みを通じて、ライターの仕事に興味を持ったという平和班の一人が、3ヶ所の戦争遺跡について調べたことを記事に書いてくれました。ばりぐっどで記事をご紹介しますので、ぜひご覧ください!
