崎戸小学校、大島西小学校、大島東小学校の合併に伴い令和4年4月1日『西海市立大崎小学校』が開校いたしました。それぞれの歴史を刻んだ学校の閉校式を終え、新たな歴史を刻み始めています。
学校といえば「校章」「校訓」「制服」「給食」…いろいろ思いつきますが『校歌』は大人になっても覚えているものですね。
何十年も歌い継がれていく校歌。いったいどんな方が作ってこられたのでしょう。
滅多にないこの校歌ができるまでのお話しを、その作詞を担った吉田弘人さんに伺ってきました。
吉田さんは大島で生まれ大島で育ち、太田尾分校・大島西小学校大島西中学校・大崎高校と学生生活を送りました。
高校生2年の文化祭の時「幽霊学校」という演劇をし、主人公の幽霊役(あだ名はボウフラ)を演じてみんなでひとつのものを作りあげたいい思い出があるそうです。
また、中学の時は毎日40分かけて歩いて通った山道は忘れられない思い出だそう。
その頃初めてギターにふれ、高校生になってから、松山千春のギターコードの本で練習したそうです。FコードBコードが難しく挫折する初心者あるあるを、この本で克服し、フォークソングを弾いていました。
卒業後4カ月間大阪に就職したそうですが、なんだか違和感を持ったままでした。
そんなある夜。ふと見上げた大阪の月を見て、急に大島町の野菜などを干すヤグラに登って見た月を思い出したんだそう。
「自分のペースで生きていけない大阪から戻り、家が酪農農家だったので手伝いをしながら、夏祭りで「口説き」を歌ったり、自分でも歌を作って母にも歌って聞かせたりしていました」
ちょうど、10曲歌うと酪農作業が終わるんだそうで、27年の酪農農家は今思えば楽しかったと….。
吉田さんちの牛たちは歌を聴きながら育ったんですね。
そんな自分に西海市教育委員会と西海市文化協会から校歌の作詞のお話が!
「もうびっくりの一言ですぐには答えられなかったです」
悩みましたが周りからも、こんな話は滅多にないからと言われ、正式な校歌でなく、ユーミンやさだまさしさんの様な『愛唱歌』のつもりで、3日で作りダメもとでみせたところ、「参考に」と幾つかの校歌を渡されました。
ダメと言われなかっただけでなく、資料を渡され、もう一度と言われたので「これは断れない」と腹をくくったそう。
何度も何度も、校歌を読み、歌い、だんだんリズムがわかって来たそうですが、これから歌い継がれ『残るもの』であることがプレッシャーでもありました。
作詞のコンセプト
「人生の応援歌となり、気持ちより所となる“ふるさと”の詩」
「人と人とのつながりや思いやりの気持ちを持ち感じること」
「友情·友愛(愛する心)を重んじ、命の大切さを感じること」
「未来への希望となる詩」
を元に愛される応援歌として作詞したものがこれです。
大崎小学校 校歌 (作詞: 吉田弘人)
しおさいの詩 ききながら
声を響かせ みんなで伸びる
希望をいだく学びやで
歴史をつなぎ 歩んでく
あ あ 大崎小学校
恵みゆたかな西海に
夢をえがいて
大きく伸びる
掲げる理想 たゆみなく
未来のつばさ ひらいてく
あ あ 大崎小学校
四季のいろどり 百合が岳
心やさしくいきいき伸びる
友情共に 築きつつ
命のかがやき あふれゆく
あ あ 大崎小学校
「校歌は忘れない。そして同じ年代でなくても卒業生として共に歌えるそしてその時の自分にもどれる応援歌だと思う」
そう熱く語ってくれた。
吉田さんは、作詞をしながら何十年ぶりかで小学生の自分に戻ったし、先輩としてこの春から歌い継がれていく校歌を、誰よりも子どもたちに歌ってもらうのを楽しみにしています。
以上ベーヤンでした。