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雪浦のキセキ最終話〜キーマンが語る!雪浦“ウィーク”から雪浦“イヤー”へ〜

こんにちは、ばりぐっど編集部です。

3月末から始まった雪浦特集も、今回が最終話。

まずはオープンしたゲストハウス森田屋について、雪浦ウィーク期間中の様子をお届けします。

 

雪浦ウィーク20周年の節目から始動!『ゲストハウス森田屋』

雪浦ウィークの初日、5月2日にオープンした森田屋。

 

雪浦ウィーク期間中は、常に多くの人が出入りする状態でした。

 

開設したカフェも、充実していましたよ!

 

私が行った時は、地元フォルクローレバンド『スマンドス』が縁側で演奏を披露しているところでした。

 

訪れた方々はゆっくり腰掛けたり、カフェカウンターでお茶を飲んだりしながら、演奏に聴き入っていました♪

 

雪浦ウィーク初日から、宿泊も始まりました。前のお客さんがチェックアウトして、次のお客さんを待つお部屋をパチリ!

ここからまた、多くの方が雪浦に足を踏み入れていくのですね!

 

雪浦ウィーク最終日には、夕方から森田屋にて最後の企画が実施されました。自然体験やアフリカ雑貨の出展を行っていた『ラヒアロー』の店主の提供による、グリーンイメージ国際環境映像祭受賞作品『風砂の町』の上映会。

 

内容はニジェールが舞台で、ウラン鉱山で起こった出来事を映したドキュメンタリー。

 

この企画を最後に、第20回雪浦ウィークは静かに幕を閉じました。

 

 

発起人が振り返る雪浦ウィーク20年の歩み

「雪浦ウィークが終了した直後の熱い思いをうかがいたい!」と向かった取材先でインタビューに快く応じてくださった、雪浦ウィーク発起人・渡辺督郎(わたなべ とくろう)さん

第20回目を終えての感想について、

「ほっとしました」

と安堵の表情。

仲間内で行なった窯開きが予想以上に賑わったことから、地域が盛り上がるヒントを得て発足した雪浦ウィーク。

発足当初からの歩みを振り返って今思うことは、

「思っていた以上に、大きなイベントへと成長しました」

とはいえ、何事もなく順調にイベントが大きくなっていったわけではありません。紆余曲折ありながら、その都度やり方を再考し続け、今現在にいたるのです。

取材時に偶然、雪浦ウィーク初期に関わっていた地元の方がおられました。当時Uターン・Iターンが主となって新しい考え方によるイベントに、地元メンバー側が感じた戸惑いや意思疎通の難しさがあったことを、渡辺さんと率直に思いを伝え合っていました。

またイベントが大きく成長するという喜ばしい反面には、駐車場の確保などハード面の問題も生じてきたのも事実。

しかし、渡辺さんは明言しました。

「これからがまた新たなスタートだと思っています」

「雪浦を楽しんでもらう”週間”である雪浦”ウィーク”から、森田屋を拠点に”年間”を通してもっと多くの人に雪浦の魅力を体感してもらえるように、雪浦”イヤー”を目指しています

そう語る渡辺さんの目は、雪浦の活性化に向けて次の段階を見据えていました。

 

 

雪浦を盛り上げ続ける原動力とは!?地域活性化の先にあるものは!?

雪浦ウィーク第1回で取材した山田千晶さんが、

「町おこしのキーポイントは”人”。一人のキーマンがいて、それを支える人がいます。奇跡となるには、キーマンの魅力とそれを支える度量が地域にあるかということだと思うのです」

とおっしゃっていました。

そう、そのキーマンこそ渡辺さんなのです。

雪浦出身。小学校時に父親の転勤で長崎市に移り住むも、祖母がいる雪浦にはよく足を運んだと言います。

県外に大学進学・就職したのち、20代半ばには青年海外協力隊としてソロモン諸島で3年ほど過ごしました。

そこで電気も水道も通っていない、しかし生きていくための術は知っていた村の人の姿を見て思ったことがあったそうです。

「お金がなくても生きられる社会って、なんて自由なんだろう」

一方で、多くの村の若者が都会にあこがれ、村を出て行く姿も。

「一体、何が幸せなのか」

帰国後、豊かな自然の中での暮らしを求めて、亡くなった祖母が住んでいた雪浦に移住。

そこで目にしたのは、過疎化が進み活力を失いつつある古里の姿。

「この町のために何かできないか」

それから自身のライフワークともなる、町おこし活動がはじまったのです。

この経緯は、平成14年の毎日新聞の記事にも取り上げられました。

この新聞記事当時を振り返って、

「気持ちはこの時と変わっていませんね」

「雪浦を盛り上げるために何ができるか、常に考え動いています。」

と語る渡辺さん。その姿は、若き青年が新聞記者に語りだすと止まらないほどの純粋な地域愛を抱き、雪浦の未来を思い描いてワクワクする様子が再現されているかのようでした。

活動の原動力について、

「一緒にやっていこうという仲間がいてくれます」

「こうすればうまくいくという方法があるわけではありません。しかし、一緒にやっていこうという人がいなくなっていく場合、そのやり方はその地域に求められていないのかもしれない。それは一つの指標だと思います」

今もなお、試行錯誤の日々だそうです。

「そして何より、地域が盛り上がることで喜んでくれる人がいます」

それが自分の喜びともなり、活動し続けていると語ってくださいました。

地方創生が叫ばれる現代において、全国各地で勤しまれている地域活性化。

どうなったら地域が活性化できているという、カタチやゴールがあるわけではありません。

その地域への来訪者数や移住者数など、数字によって表れるものが全てではないはずです。

数字には表れない、そこに住む人々が自らの地域をこよなく愛し、誇り、自分らしく生活する中で「ここで暮らしていてよかった」と思える幸福感のようなものがあるのではないでしょうか。

 

”雪浦ウィークの軌跡をたどって見えた雪浦の奇跡”

今回の特集における一連の取材を通して、語られる雪浦への熱い思いや雪浦に住む人・訪れた人の多くの笑顔から、そのキセキ(軌跡と奇跡)に私は確かにふれることができました。

しかし、ここで終わりではありません。

終わりなき地域活性化に向けて、雪浦はさらなるキセキを描きながら歩みを続けています。

「この町のために何かできないか」

同じ思いを抱いているあなた。新たな一歩を踏み出しませんか。

【完】

 

 

〜謝辞〜

本特集にあたり多くの雪浦内外の方々にご協力いただきました。心より感謝いたします。ばりぐっどは、これからも西海市各地域の活性化を応援しています。

ばりぐっど編集部

 

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