さて、卒業のシーズン。
卒業、卒園されたみなさん、保護者の皆様おめでとうございます。
そんな我が家も先日無事に娘が大学を卒業。結局親は参加できないという少し淋しい卒業式であった。そして娘にとっては紆余曲折、色んなことがあり過ぎた波乱万丈の4年間だったと思う。
車を走らせれば1時間で行ける距離ではあるが、やはり一人暮らしをさせるのは何かと心配も絶えないものだった。
そんな心配からやっと解放される・・・。
されません!
1人暮らしは続行だし、それよりも何よりもこの新型コロナの影響でまだ就職の内定をいただけていない。
娘いわく、同級生のなかでも一度内定をもらっていたが『内定取り消し』になった子が結構いたらしいとのこと。
我が家だけではなく、世の中がまだまだ厳しい状況にあるということである。
まぁ、そんな中でも我が家の娘はあわてず騒がずどっしりとしていらっしゃる。
どうにかなるさ風(かぜ)
が、彼女の周りをビュンビュンと吹き荒れている。誰に似たのだろうか?そのメンタル、少しだけでも分けてもらいたい・・・。
さて、卒業といえば私は小学校の時の記憶がよみがえってくる。
私の実家は小学校のすぐ下にあり、走れば1~2分で靴箱まで行けるくらいの脅威の近距離であった。
なので西彼に嫁に来てから我が家の子ども達がバス通学するという自分とのあまりのギャップにおののいたものだ。
しかしそのギャップにおののいていたのは私だけで、生まれた時からその環境で育った子供たちや旦那にしてみれば何の不思議もない。
バス通学は全くもって普通なのだ。
大変だと気付いたのは子供たちが高校生になってから。
やはり市外の高校に通うのは親も子も生活が一変するくらいに大変なのである。
さて話は戻って、私の実家は小学校から1~2分の近距離。しかし正門の方ではなく、ぐるっと学校の裏手の方。
やはり正門側から通学して来る子ども達のほうが多く、いろんな行事は正門をメインに組み立てられる。中でも心に残る1番のメインイベントは
卒業式!
体育館での式が終わり、教室での最後のホームルームも終わり、いよいよ先生と友達と学校と最後のお別れ。
校庭に出ると、在校生がグラウンドの真ん中を突っ切るように、正門まで花のアーチを持ってズラリと並ぶ。
卒業生はその花のアーチをくぐって正門へと進み、そのまま学校を後にするという習わし。
が、しかしである!
正門登校組ではない少数派の私たちは、一度その花のアーチをみんなと一緒にくぐったあと、鮮やかすぎるくらいのUターンをブチかまして校舎の裏手の方へと消えていかなくてはならない。
『卒業生なのに・・・』と小学生ながらに切ない思いをしたことが卒業式の思い出として、今もなお記憶として残っているのだ。
ん?
そういえば、我が家の子ども達にも同じような境遇があった。
小学校の校区内でバス登校するのはうちの地区くらいなもので、先生たちからは『バス組さん』と呼ばれていた。
どうしても田舎なのでバスの本数ははっきり言って少ない。それは国道の話で、我が家はその国道から山へ登る便に乗り換えをしなくてはならない。
バスの本数はさらに恐ろしいくらいに減る。(内緒だけど1日に9本笑)
登下校の時間に合わせて運行してくれているが、いい感じの時間帯になかったりするのはしょうがない。
例えば始業式、終業式など学校がビミョーな時間に終わるとき、その時間に一番合うであろう山に登るバスの時間は午前11時40分。
ビミョー!!
先生たちは午前11時40分のバスに『バス組さん』を乗せなければ、次の午後2時40分のバスの時間まで『バス組さん』を学校に居残りさせることになる。
学校からバス停まで歩いて訳10分。てことは学校を11時30分には出発しないと間に合わない!
みんなが教室でわちゃわちゃしている最中に『バス組さん』は先生に呼ばれ、一足早く下校するのだ。
きっと自分だって友達とわちゃわちゃしたいと思っていたに違いない。
きっと切ないと思ったに違いない。
え?
『バス組さん』の話と『花のアーチにUターンぶちかます』話の何がどう繋がるのかって?
それは・・・どちらも
子ども心に『切ない』という心の擦り傷を知ったというところ。
こうやって少しづつ大人になっていくのである。
なんだか無理矢理話をまとめた風になってしまったが『卒業』という2文字で遠い記憶から懐かしい思い出がよみがえった。
せつない心の擦り傷というのは、なかなか傷あとが消えないものであるが、それも今となればいい思い出となる。きっと、我が家の子ども達もバス通学の不便さを『いい思い出』と言える日が来るだろう。
きっと・・・
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※前回の『ウエ女』は・・・こちらからどうぞ↓↓