我が家の次男は20才を越えたいい大人であるが、幼少期からの好き嫌いは多少克服はしたものの、まだまだ偏食王子は健在である。
しかし、好きなものさえ与えておけば『食』に関しては簡単な男だ。
カレーライス・シチュー・ハンバーグにオムライス。これさえ与えておけばバッチリである。
将来の次男の嫁は楽に違いない! 私に感謝して欲しいくらいだ。
で、週に1回のカレーを作っていたある日、私はふと気付いたのである。
カレーのタマネギはくし切りではなく、薄切りしてるなぁ。
ジャガイモは火が通れば全部潰してるなぁ。
ニンジンにいたっては、海近家のカレーには入ってもいない・・・。
コレさ、私自身が苦手だから私が食べれるカレーを作ったら、こんな感じで出来上がったわけだ。
シチューになるとタマネギの切り方が薄切りから『みじん切り』に変更される。
カレーでは薄切りで許されていたその姿が、シチューの白い液の中で見えるのはどうしても受け付けないのである。
そう!ワタシが!
カレーの中で泳ぐ薄切りのタマネギは食べれるが、シチューの中で泳ぐ薄切りのタマネギはダメなのである。
はい!ワタシが!
『食感と素材の味』これがどうしても受け付けない野菜があるのだ。タマネギのシャリシャリした食感は絶対にダメ。
だからいかにそのシャリシャリ感をなくすかが料理を作るときの大きなカギとなる。
親子丼やカツ丼は、究極タマネギを擦って入れる。これには次男と私の共通理解がある。
厳しい事を言うが我々にはタマネギはいらない。シャリシャリするからいらない。
でも!
親子丼やカツ丼のタレにはタマネギの甘みは必要なのである。姿はなくてもいいがそのうま味甘みは絶対に必要なのである。
逆にタマネギを大きめに切って調理して食べる時に取り出すという方法もあるが、その取り出したタマネギが不憫である。
もしかしたら、全て回収したと思っていたタマネギがとじたタマゴに隠れているかもしれない。それを知らずにパクついたら事件である。
ならばいっそのこと大根おろし器で擦って入れてしまえ!!それならタマネギを取り出す手間もなくなるし、タマゴに隠れることもない。
どんぶり問題
一件落着
ニンジンの強烈な自己主張をするあの味もダメ。これは何をどうやっても他の野菜や調味料を押しのけて自分を主張してくるので、初めから入れない作戦を取る。
ニンジンが芸能界デビューしたら、そのくらいのアピール性が必要だと思うので、きっと上手くやっていけると思う。
しかしアピールがしつこくて大御所に嫌われるって感じだろうか・・・(笑)
不思議なことにニンジンの自己主張はホントに無理だが、ゴボウの自己主張は全く気にならない。これは何の違いなのだろうか。
ニンジンから「ゴボウをひいきしているんではないか?」そう言われても仕方ない。
だってゴボウがいくら『ゴボウ臭』を放っていても食べれますもん。ゴボウの歯ざわりがシャリシャリしたとしても食べれますもん。
ていうか
ゴボウ好きですもん
(笑)
ジャガイモも、ジャガイモの奥から自分を主張をするような調理方法や味つけは受けつけない。たとえばそのまま『ふかした』とか『味が中まで染みていない』とか。
さて、ここまでの話は全て次男と私、同意見である。大いに盛り上がり『同士』なのだと感じられる。なのに若干1名異を唱える者が・・・。
旦那だ
旦那は私と次男の逆を行くので、必然的に2対1で旦那の意見はいつも却下される。
時に、私が作るカレーライスに我慢が出来なくなった旦那が具材がロゴロカレーを作る。どの野菜も存在感がものスゴイ。
私と次男にとってそれは
鬼カレー
これでもかと言わんばかりにデカい野菜が鬼盛りなのだ。
そのゴロゴロ加減におののいている私達2人を横目に、カプリカプリといただく顔は憎たらしいくらいにドヤっている。
さて、よくよく考えたら、
次男にはカレーライス・シチュー・ハンバーグにオムライス。これさえ与えておけばバッチリで、将来の次男の嫁は私に感謝しろとか大口を叩いていたが、実はその作り方に注文が多い。
タマネギは細切りかみじん切り、ジャガイモは潰す。親子丼・カツ丼に関してはタマネギを大根おろし器で擦る。
そしてその作り方を確立したのは誰でもない、このワ・タ・シである。
どうなんだろう・・・これはやはり
将来の嫁
ごめ~ん
と、言わなければならないのだろうか?(苦笑)
※前回の『ウエ女』は・・・次男の『趣味』について。これも次男の『生きがい』と言っていいかもしれない。そのお話はこちらからどうぞ。