12月だって。

 

12月に入ってもう1週間になるって。

 

マジで『ビビって バビって ビャ~~!』ですわ。

とか言いながら、またのらりくらりとこの12月も過ごしていくのだろう。

 

さて、12月といえば年賀状である。

 

我が家は律儀にちゃんと年賀状を出す家である。それも自分でちゃんと納得のいくまで加工や編集を重ね、大満足の逸品を仕上げるのである。(私が。)

 

数年前までは11月の末にはすっかりスペシャルな年賀状ができあがり、住所別に仕分けまでしてあとはポストへ『ぽっとん』と投函するだけの状態まで済ませるのが恒例。

 

それがどうしたことか、この3~4年、もしかしたらそれ以上?すっかりあの頃のヤル気はどこかへ行ってしまった。

 

今年も年賀状は買ったが年賀状を作る気分にもならない。とりあえず作ろうと思って年賀状を用意したことは褒めて欲しい。

 

『ばばぁになったら、年賀状も作らんごとなったな!』

ウエストのおんな

次男が容赦なくプシューンと鋭い矢を放つ。

 

いや~ん! 

その通りでやんす!

 

痛いところを突かれて苦笑いしかできない。しかし自分で1度も年賀状を出したことのない次男からそんなことを言われる筋合いはない!

 

とか強気に出てはみたものの「更年鬼はこれやけん困る」と更に畳みかけられ、ニヤニヤするしかない49歳の住子であった。

 

確かに『お年頃なんだわ』と思うところが日に日に増えて来た。

 

前にも書いたことがあったが、年齢が進むと味覚が鈍感になり、だんだんと味付けが濃くなってくるという話を次男から聞いたことがある。

 

それが最近なんだかその症状が出ているんではなかろうか?と疑わしき事例が発生。

 

義母からもらっていたカボチャをどうにかしなければと思い、やっと決心をつけて旦那のどデカイ包丁で『一人カボチャ入刀』をした。

 

カボチャは硬いので、まるまる1個もらうと切るまでの道のりがだいぶ長い・・・。

ウエストのおんな、かぼちゃ入刀

カボチャを切るだけで相当な労力を使うので、一度力尽きてヘロヘロになる。そこから気持ちを立て直して料理をするので、もうなんかどうでもよくなったりする。

 

そんなところがおちゃめな『O型』とか勝手にいい方に考えて現実逃避をしてみるが、結局カボチャをどうにかしないといけないので現実へ帰還。

 

そしてなんとか硬~いカボチャを切り分け、次男が大好きな煮ものを作ってみようとか思うところやはり母である。

 

砂糖だのしょう油だの調味料を入れ、母の愛もダップリとテンコ盛りに投入。

 

こりゃ~

最高に美味いはず!!!

 

と思って何ら疑わなかったが、しょう油を入れても入れても。砂糖を入れても入れても。なんでもかんでも入れても入れても。

ウエストのおんな、味見

味 うっす~~~

 

え~っ! なんで~? 味見をしてみるが『うすうす』である。あれやこれや入れすぎて鍋の中はタップンタップン。

 

それでも味が薄い。

 

やはり私の舌が『年寄り舌』になってしまったのか、鼻が詰まって味がわからないのか?味付けが迷宮入りだ。

 

結局あれやこれやジャバジャバに入れて、味がどうなったか自分で判断出来ない代物が出来上がった。

 

『出来上がった』というか、これ以上プロのシェフのように『味』を追求していったら、終わりがないと思ったので強制的に『出来上がらせた』と言った方がいいだろう。

 

恐る恐る食卓にその強制的に完成させた最高傑作の『カボチャの煮もの』を出してみる。

ウエストのおんな、かぼちゃの煮もの

見た目はマジに美味そう。

 

なのに味は無限の可能性を秘めている。(作ったヤツが住子なので・・・。)

 

なんだかホントに味がわからなくなって、『無限の可能性を秘める』ものばかり作る様になったら、これはえらいことである。

 

とりあえず次に味付けで迷宮入りした時は、自分の料理を自画自賛する旦那に腕を振るってっもらうことにしよう。

 

だって今の私の目標はカボチャの味よりも、年賀状を今年の内に完成させることだと『今!』思い出したから。

 

あ~ヤバイヤバイ。カボチャの味もポンコツだが年賀状制作も大いに怪しい。

 

そんなことを、あ~だこうだと言いながら、こうやって、またのらりくらりとこの12月も過ごしていくのだろう・・・。

 

無事に正月を迎えられるのかどうか・・・。(汗)

ウエストのおんな、こたつでうたた寝

 

※さて前回の『ウエ女』は『天使住子と悪魔住子』のお話でした。こちらから読んでくださいね!