質問・・・毎日の食事、おかずはどのように食卓に出しますか?

 

1人分づつ小分けして出す? それとも大皿にドカンと盛る?

 

我が家は断然

『ドカン盛り派』

ウエストのおんな、ドカン盛り

だって家族分小分けするのって面倒。洗い物も増えてさらに面倒。

 

でもそれよりも1番は

 

好きな量食べさせてくれよ!

 

である。

 

私が海近家に嫁いで来た頃、だんなの実家(当時別居、現在同居)に行くとよくごはんをいただくことがあった。

 

その時義母は1人分づつ、小分けにしておかずを盛ってくれていたのだが、その盛り方が・・・

 

力士盛り

 

ホントに力士の方が食べるような盛り方ではないが、当時食細かった私にはそう見えるくらい、インパクトがある盛り方であった。

 

もちろんごはんも『日本昔ばなし』に出てきそうな茶わんに爆盛りのごはんを出された。(私にとっては爆盛り)

ウエストのおんな、白ごはん 

しかも長男を妊娠しているときで、毎回『2人分食べなさい』と言われてヒーヒー言いながらやっと食べ終わると逆パターンのおかわり催促。

 

「おかわりするやろ?」

 

と義母の手が、私からやっと食べ終えたカラの茶わんを奪おうとする。

 

食事を用意してもらうのはありがたかったが、私は力士になろうとは思ってないし、お腹の中の子どもに、自分と同じ量の食料を与えなくてもよいと思っていたので『おかわり』は毎度毎度丁重にお断りした。

 

が!『力士盛り』が効いたのか、お腹の子どもは順調に成長し小柄な私に対してかなり体格のよい子どもになってしまった。

ウエストのおんな、妊婦さん

おかげで出産がとんでもなく大変だったことを思い出す。

 

もうあんな痛い目には遭いたくない(大丈夫もうその心配はない笑)

 

だ~か~ら~ 食べたいものを食べたいだけ小皿に取る方が私としては大変ありがたいと思ったので、現在海近家は大皿にドカンと盛る『ドカン盛り』を推奨、そして実施しているのである。

 

そういえばそうやって、あの頃たまに食事をいただいたとき

 

『ん?』

ウエストのおんな、『ん?』

と思うことがあった。自分の実家ではないので同じおかずでも実家で自分がずっと食べて来たものと、嫁ぎ先の義母が作るものでは味や使われる食材、見た目も大きく違う。

 

義母が作るメニューの中で、私が「おお!これは!!」と驚いたものが2つ。

 

1つは『シチュー』 義母の作るシチューはやたらと『カタイ』・・・。

 

市販されているシチューの元といわれるものが、ブロック状のものと顆粒のものと2種類あるのだが、義母のお気に入りは『顆粒』の方

 

これがまた鍋の中に入れる具合によってシチューの濃度の濃さ薄さの許容範囲が広い。

 

義母がどのくらいの量を投入しているのかわからないが、元祖海近家の『義母シチュー』はとても『カタイ』

 

義母の作ったその『カタイ』シチューを『御わん』によそおい『箸』でつまんで普通に食べている義父の姿に衝撃が走ったのだ。

 

『箸』でつまめるほど『カタイ』シチューとか

 

はじめての

けいけんーーー♥

ウエストのおんな

海近家の人間はよそからやって来た私以外、シチューといえば義母の作る『箸でつまめるシチュー』がまさしく『シチュー』なのだ。

 

きっとスプーンで食べるシチューはスープカレーならぬ、『スープシチュー』とかになるのだろう・・・。

 

そしてあと1つは 『オムレツ』である。元祖海近家のオムレツは、包んだタマゴの中に『野菜炒め』が入っているのだ。

 

それを『オムレツ』と言って食卓に出す義母に

 

これは私が知ってるオムレツじゃない

ウエストのおんな

つい心の声が出てしまいそうになった。

 

オムレツって、オムレツって中身野菜炒めだったっけ~? しかしよくよく考えてみた。

 

料理にルールなんて無い! 義母が「これはオムレツ」と言えば『オムレツ』でいいのだ!

 

力士が作る料理はすべて『ちゃんこ』というではないか!(ん?)

 

現にクッ〇〇ットを見てみると『野菜炒めオムレツ』がたくさんの方から投稿されていた。

 

『こうでなければいけない』という決まりは私達主婦にはあまり必要のないものかもしれない。

 

料理は自由だ~~~!

ウエストのおんな、叫ぶ

まぁ、致命的に料理が苦手な私が言うことではない・・・。

 

さて、料理は自由ということで、今日は何のお惣菜を買おうかスーパーウエストで物色だ。

 

梅雨と言ってもビニールハウスの中は高温多湿で既にバテ気味。こんな時、ウエストの惣菜は心の友である。

 

おお

心の友よ~

ウエストのおんな

※さて前回の『ウエ女』は・・・次男の好き嫌い、実は母である『私』も加担してたという話。いや~どうしても克服できないものってありますよね~。そんなお話はこちらからどうぞ