こんにちは、佐世保市を拠点にライター業を営んでおります、ヤマモトチヒロと申します。
佐世保生まれ佐世保育ちですが、西海市のほうにもよく足を延ばしています。
桜の名所で日本三大潮流にもなっている西海橋の絶景や西海橋コラソンホテルのリゾート空間、美味しい地元特産品が揃う道の駅や七ッ釜鍾乳洞、日本中の音楽ファンが魅了される音浴博物館、地元の方の温かみと新しい風が交差するイベント『雪浦ウィーク』などなど・・・その魅力は挙げればキリがありません!
そんな魅力がたっぷりつまった西海市ですが、わたしには長年忘れられない観光スポットがあるのです。
かつて、西の地・西海市で花ひらいたテーマパーク「西海楽園」
“黄金に光り輝く仏像群と娯楽施設”という超豪華なコラボレーションで、県内外多くの人々を魅了した『西海楽園』。
閉園してから既に12年が経ちますが、今もなお、県内外からわざわざ足を運ぶ人が絶えないといいます。
そんな同園のルーツと、地元のひとにしかわからない当時の姿を辿ってみました。
どんな施設だったの?
『西海楽園』は、「七ッ釜観光ホテル」を核とする七ッ釜鍾乳洞のレジャー施設運営会社によって1990年(平成2年)に設立。
約20万平方メートルの広大な敷地には桜やあじさいなど四季折々の花が美しい景観を見せてくれていたほか、子ども向けプレイランドやグランドゴルフ場、スライダー付きプール、バーベキュー施設や動物とふれあえる農園などが揃っていました。
園内はあまりに広く高台にあるため、送迎バスが走っていたようです。
バスというより、トラックをアレンジしたような仕様でした。お1人さま500円で乗車できました。
ちなみにバスにはガイドさん付きだったそうで、当時の盛況ぶりが伺えますね。
またここは、従来の地形からなる石灰藻化石群をまとめて見ることができるという、大変珍しい場所でもありました。
こちらは2019年3月時点での看板です。
思わず「ココは日本かい?」と疑ってしまいそうな景色です。
そして、数あるコンテンツのなかでも異彩を放っていたのは、「七ッ釜聖観音」と名付けられた、高さ40mにおよぶ巨大な観音像です。
以下の写真は、1989年施工当時のもの。
かなり大掛かりな工程だったことが伺えます。
・・・見ていると思わず、「パ○ルダー・オン!」と掛け声をしたくなりません?
建築好きとロボットアニメ好きにはグッとくるものがありますね。
ちなみにこの観音像ですが、ある大きな台風に見舞われた際に、頭と後光が吹き飛んでしまったそうです。
ただちに修復が施されたそうですが、後光はそのまま取り外されることに。
数㎞先からも存在が確認できるほどの高さは、当時の建築物では他に類をみることがなかったでしょう。
(余談ですが、七ッ釜聖観音像3体分+10mでだいたい針尾無線塔ぐらいです)
『西海楽園』に来たら、必ず立ち寄る鉄板のスポットでした。
そんな『七ッ釜聖観音』をはじめとした仏像群は園内至る所に点在し、『七福神・十二支本尊霊場』や『五百羅漢堂』といった荘厳なエリアも設けられました。
この朱色の門をくぐった先は仏ゾーン。
チューリップやつつじ、あじさいなど季節の花々が美しい、『七福神・十二支本尊霊場』が眼前に広がっていました。
まさに“百花繚乱”といいましょうか。
色とりどりの花壇をぐるりと囲むのは、十二支と七福神の御本尊。
金色に輝く仏像とのコントラストは、幼心に強烈なインパクトを与えてくれました。
流れる滝を背にたたずむ『水子三観音』。
その先には『五百羅漢堂』が。
なかには黄金の仏像がびっしりと。圧巻の空間のなか、多くの人が祈りを捧げていたようです。
その先に続くなだらかな坂には、『十三仏』の石仏がズラリと並び、背後には石灰藻化石群が広がっています。
草花や木、水、仏像、化石群・・・本来なら横並びでは存在しにくいものたちがギュッと濃縮された非日常的な空間は、極楽浄土をイメージするにふさわしいものだったかも。
やはり記念撮影スポットといえばこのエリアだったようで、『西海楽園』を訪れた方の多くが、この仏像たちと撮った写真を大切に保管していました。
私もかつて小学生の頃、ここを訪れてバッチリポーズを決めていました。
きっと、みなさんのご家庭にもこのような写真が眠っているはず!たぶん!
また、『一万人コンサート広場』と呼ばれていた広場では、観音像をバックにさまざまなイベントが催されたそうです。
観音さまのおひざもと。
夏祭りではカラフルな浴衣に身を包んだ人々の姿や露店の活気で賑わい、夜空には大輪の花火が上がりました。
今では超大物演歌歌手のかたが、まだ駆け出しだった当時にコンサートで訪れたこともあったそうですよ。
アーティスト界隈では、【西海楽園でライブをするとヒットする】というジンクスが囁かれていたとか、いないとか。
園内のアトラクションは、その広大な敷地を活かしたものばかり。
ゴーカート、スワンボート、草スキー場、ゲームセンターなど多岐にわたりました。
どれもが、大人から子どもまで楽しめるラインナップでした。
いったいどれだけのファミリーの休日を救ってくれたのでしょうか。
園内には、お食事処や土産処も充実していました。
地域の特産品などを取り扱っていた『樂屋(らくや)』。
お食事処は、『観音亭』というとてもありがたいネーミングです。
どこを見ても賑わいが絶えず、1992年にハウステンボスが開園するまでは九州北部を代表するレジャースポットでした。
地元の人にとっても、各種お祭りや遠足など、最も身近な憩いの場として親しまれていたんですね。
ちなみにこちらは、当時発行されていた記念ポストカードならぬ、記念色紙です。
ちょこっと端っこを切ればそのまま額縁に入って飾れるヨ、とのこと。
“いのりの里”というネーミングに、やはり仏像に比重が置かれていたことがうかがえます。
仏像や石灰藻化石群についてガイドがありましたが、純粋に宗教教義上に則ったものでした。
開園のルーツは〝天のお告げ?〟
そもそも『西海楽園』は、なぜ誕生したのでしょうか。
元経営者の方にお話を聞くことが叶わなかったので、地元の方々に尋ねてみることに。
すると、ほとんどの方から「オーナーさんが天の啓示を受けたことがきっかけでは?」という答えが返ってきました。
とてもスピリチュアルな響きですね。
あれだけの規模と内容を見る限り、理屈ではないものでつくられたものだと言われても全く不思議ではありません。
さきほどもふれましたが、この施設は、当時西海市の経済の一端を担った『七ッ釜観光ホテル』が母体となっています。
観光客の宿泊はもちろん、宴会、結婚式や各種ライフイベントには欠かせない場所でした。
バブル期に約20億円を投資してつくられ、2002年(平成14年)には7億円台の売上を記録しましたが、2007年(平成19年)にホテルの倒産と共に閉鎖となりました。
跡を継ぐ人は誰もおらず、まるで夢から覚めるように『西海楽園』は静かに幕を閉じたのです。
おもいでの写真を手に現在の地へ
ここまでお話を聞いて、「また行ってみたい!」という気持ちがメラメラと湧いてきました。
しかしもう完全閉鎖されているだろうと半ば諦めかけていたのですが、なんと、イベントにあわせた特別開放が行われるという情報をいただき、さっそく向かうことにしました!
実家に眠っていたアルバムを掘り起こし、数少ない思い出の写真を握りしめて。
訪れた日は、2019年3月31日、桜のシーズンがピークを迎えた頃。
西海橋の大混雑を抜け、七ッ釜鍾乳洞界隈へ向かいます。
ここで行われていた『七ッ釜鍾乳洞 櫻と菜の花まつり』が、そのイベントでした。
『七ッ釜観光ホテル』の施設が一部、とても綺麗な状態で残されています。
もとは入場ゲートだったこちらを通って、
朱色の欄干を渡ってお邪魔しましょう。さっそく桜がお目見えです!
思わず記憶を疑ってしまうような、結構な急勾配。たぶん当時は私もバスを利用していたんでしょうね。
ベビーカーで登るのはなかなか大変でした。
道の途中では、ご家族連れが休憩中。現在も地元のかたにとって憩いの場であることが伺えます。
それにしても絶景です。
ここまで綺麗に、景観の一部として建物が残っていることも驚きですし、広大な敷地にも目を見張ります。
道の途中、洞窟のようなものを発見しました。
現在は立ち入り禁止になっていますが、仏像が並ぶ鍾乳洞で、長さは50mほどあるとのこと。
看板はほとんど読めませんでしたが、かつて殉教したキリスト教宣教師・金鍔次兵衛(きんつば・じひょうえ)が身を隠した場所ともいわれています。
隠れキリシタンゆかりの地としても知られる西海市ですが、まさかここにも史跡があったとは。
洞窟のすぐ上には正門が。
老朽化のため正面からは入れないようになっていますが、門構えの立派さは相変わらずです。
おお!金剛力士(仁王)像だ。
この写真と同じ場所ですね。見つけられてウレシイ。
紅白の横断幕は、なにか催しが行われていたのでしょう。ここにいたんだ、わたし(一番背の高いおかっぱ頭です)。
そして目の前には、園内屈指の記念撮影スポット『十二支・七福神霊場』のあと。
そういえばここに綺麗な釣鐘もあったんですよね。
現在はすっかり草木におおわれています。
ところで“十二支御守本尊”ってナニよ!?というところですが、その名の通り十二支によってそれぞれの「お守り本尊」が定められているといわれているもので、起源は易学の八卦に通じるといわれています。
明確な理由付けは不明らしく、わたしもそのあたりは疎いので割愛させていただきますね。
跡地を眺めるだけでもじゅうぶんに当時の記憶が蘇ってきそうな、メモリアルなスポットでした。
お花の肥料の香りまで思い出せそう。しみじみ。
先へ進んで行くと、『水子三観音』が。
ここも、人気の撮影ポイントでした。
当時は滝が流れていましたが、現在は水も枯れ、うっそうとした草木に覆われています。
地母観音に、もう1つ子どもを連れた観音様が。このあたりは水子観音エリアなんですね。
奥にある黄色い(以前は茶色でした)建物は『五百羅漢堂』。
扉が開いていたのでそっとお邪魔させていただくと…
まだ仏像たちが残っていました。
いったい彼らは、どこへゆく・・・?
お堂からさらに進んで行くと、蓮の花の台座が通路沿いにズラッと並んでいます。
『十三仏』の跡です。
そしてやっと、『旧西海楽園化石の森』にたどり着きました。
おや、もしかして左手に見えるのは・・・
ここはもしや!
そう、『西海楽園』の最大の目玉、高さ40mもある巨大観音像があった広場です!
残念ながら、敷地内は立ち入り禁止でした。
現在もその価値を残す石灰藻化石群。
3億年前から続く、太古のロマンを感じます。
これだけの規模は、確かに他では見られないでしょう。
もしかしてここはトルコの世界遺産・カッパドキアでしょうか(行ったことはないけれども)。
まるで迷路です。
化石の森と桜のコラボレーションはとても不思議な景観でした。
そういえば、ゴーカートや遊具があった広場はどこだったんだろう。
ワクワクしながら順番待ちをしていましたねえ。
なんとなく面影が見られるので、このあたりのようですが・・・。
広々とした敷地の一部は、所有者の方の畑やソーラーパネルの設置場所となっていました。
仏教テーマパークの真意
そういえば1つ、気にかかることがありました。
『西海楽園』誕生のきっかけを色んな方にヒアリングしていくなかで、「オーナーさんの身内に突然の不幸があった。それがきっかけになったのでは」という声があったのです。
ご本人に尋ねることも叶わなかったので推測すると、園内各所にふんだんに使用されていた御影石(本殿の塀や仏像の台座など)、施設名の〝いのりの里〟というフレーズ…。
ひょっとするとこの楽園は、ただ第六感的に受けた天啓が形になったものというだけではなさそうです。
大切な人に手向けられた、とてつもなく壮大な祈りと献花そのものだったのではないでしょうか。
『西海楽園』の夢はどこへゆく
『旧西海楽園跡地』は、今後どうなってしまうのでしょう。
広大な敷地は、同園のオープン前から多数の所有者がいらっしゃるそうで、現在も手入れなどが施されているそうですが、具体的な活用の目処は立っていないとのことです。
あの仏像たちはいったいどこへ?
とっても気になるのは、40mの巨大観音像をはじめとした仏像群のゆくえ。
巨大観音は安全のため真っ先に解体され、そのパーツは福岡のどこかにひっそりと眠っているのだそう。
また、撤去された仏像たちも、お寺など各地に散らばっていったとのこと。
ひょっとしたらどこかで、彼らと再会できるかもしれませんね。
泡のように消えた、まさに夢のようなテーマパーク『西海楽園』。
仏像たちとともに光り輝いていた黄金色の夢は、かすかではありますが、多くの人々の記憶とともにいまもなお眠っているのです。
※ご多忙な中、取材にご協力いただきました西海市の皆さま、誠に有難うございました。