いつものように仕事帰りにウエストへお買い物に行った。すると店の入口に『カラオケ発表会』なる手作りらしきポスターが貼ってあった。
カラオケ・・・かぁ・・・
なんだか素晴らしく懐かしい響きである。
だって、もう何年も『カラオケ』などという娯楽を味わっていないのだもの。直近で行ったのはたぶん娘が高校生の時。
しかも二人で行ったが歌うのは娘だけ。もうコンサート状態。これは『カラオケに行った』とカウントしていいのかどうか判断しかねるところである。
独身のころは『中森明菜や工藤静香』の新曲が出るとマッハで覚えて即カラオケでガンガン歌っていたが、この年になると脳みそが新しい事を覚えようとしない。
脳みそから全力で拒否られるのである。
よって、歌に関わらず何に対しても新たなことは頭に入らない。残らない。覚えない。
しかし、何と言う事でしょう♬
『懐メロ』だったら覚えられる❤ いっそのこと山本リンダくらいの懐メロなんていかが?昔の曲は体が馴染んでるんだな、きっと。
それから私の十八番はリンダの『どうにもとまらない』である。
現在、和田アキ子の『古い日記』もレパートリー
(あ~のころっは ハッ!ってやつね。若者よ、話しについてきて!)
『カラオケ』というと、私は高校生の時の文化祭を思い出す。女子高だったので、共学の高校の文化祭とは違い男子がいない分なんとも静かな文化祭だった気がする。(当時の記憶)
しかし一つ大イベントがあって、文化祭最終日は全校生徒が体育館に集まり、なんと『のど自慢大会』が開催されていた。
もちろん体育館のステージで行われるのは決勝で、その前にちゃんとオーディションなるものが行われるのだ。
オーディションは、のど自慢大会に応募してきた生徒全員が、ある日の放課後、大視聴覚室に集められ生徒会長や実行委員、担当の職員や学年主任などに審査される中、持参したカラオケのテープに合わせフルコーラス歌うというもの。
私はそのオーディションに見事合格し、1000人越えの女子高生の前で歌ったという。
まぁ何の賞も貰えず、ただ大勢の観客の前で気持ちよく歌ったというだけの話しである。
賞・・・?
いや、私カラオケで『賞』を貰ったことがある!
その昔、長崎のNBCラジオの夜に放送していたある番組内に『カラオケ勝ち抜き大会』的な新しいコーナーが出来た。私は何を血迷ったのか初代チャンピオン目指し応募したのだ。
ん? ラジオでカラオケ?
と思ったあなた!ナイスです。スタジオにわざわざ収録しに行った訳ではないのだ。
ではどうやってカラオケの収録をしたのかと言うと、司会の女性アナウンサーから直接自宅に電話がかかり、ちょっとした打ち合わせの後に歌う曲のカラオケを流してもらい、私は受話器から聞こえるカラオケに合わせて歌を歌ったのだ。
『ちょっとした打ち合わせ』と言っても「何を歌う?」と聞かれるくらいで、曲が決まれば即収録である。
生放送ではなかったので、うまいこと事故も事件もなく放送された。
もう24~5年前の、そう、まだ黒電話の時代である。
家族に聞かれないように、リビングに置かれた黒電話をぎりぎりコードが伸びるまで引っ張って引っ張って、玄関まで引っ張って持って行き、玄関先で熱唱していた。
想像してごら~ん
若い20代前半の娘が家の玄関で全力熱唱の姿を~
想像してごら~ん
電話の受話器を耳にあてて熱唱する摩訶不思議な光景を~
想像してごら~ん
全力熱唱中に家族から「なんしよっと~?」と様子をうかがわれた時の気まずさを~
・・・相当に恥ずかしかった。
そして勝ち抜きなのでもちろん対戦相手がいる。5週勝ち抜くと優勝となった。
私は毎週月曜日、自宅の玄関先で受話器をマイクに全力熱唱した結果、とうとう初代カラオケチャンピオンに輝いたのである。
恥ずかしい思いをしたかいがあったというものだ。
チャンピオンになった副賞として何がもらえるのかと内心ワクワクしたが、番組からは予想に反して黒のロックなロンTが送られてきた。
それだけかい!
どちらかと言えば、トロフィー的なものを欲しかった・・・
それにその頃は赤やピンクのヒラヒラでフリフリでぶりぶりのファッションだった私には、あまりにも受け入れがたいロックなロンTだったので、そのまま押し入れにGO!して行方知れず。
あれ?
結局『賞』を貰ったと豪語していたが、これは『賞』をもらったと言えるのか?
『賞』というかロックなロンT。
今になるとあの頃受け入れがたかったロックなロンTも良い思い出である。あぁ懐かしい話しを思い出したら
久しぶりに中森明菜をしっとり歌いたくなった!
西彼町にカラオケボックスがあれば断然通うのにな!!