なんだ!?この今年の夏の暑さは!何かのバツゲームとかじゃないよね?とドッキリを仕掛けられていないか本気で疑う私は海近住子(うみちかすみこ)西彼のアラフィフパート主婦である。

 

あら~?

すっかり8月に突入しているじゃない!

 

いや知っていたわよ。8月に入った時、職場のお姉さま達との談笑の時に話題にあがったもの。(笑)

 

「今日から8月よ~ 怖っ!!」

「うわっ ほんと~! 怖っ!!」

 

『怖っ!!』の意味は、時間の流れがジェット機を越えて、ロケット並みに早いので私を始め、お姉さま達みんなでそのロケット並みの早い時間の流れに少々ビビった!という意味合いである。

 

ということは・・・。

 

世の中のチルドレンは夏休み突入か!それも2週間前に!

ふ~ん・・・。

 

我が家には小学生も中学生も高校生もいないので、やっと気づいた。

 

確かにまわりがなんとなくざわついてるなぁと感じてはいたがピンとこなかった。自分に関係がないとなると、トタンにこんなもんだ。

 

唯一『学生』と呼ばれる花の女子大生の娘も私の実家からめでたく卒業し、晴れて憧れの一人暮らしを始めたので、娘の情報は娘が自ら発信しない限り、何もわからない。

 

何をやっているのだか?どうなんだか?

とはいえ大学に入って2回目の夏だというのにいつからが夏休みなのか、いつまで夏休みなのか、母親のくせに今ださっぱり把握できていないところはおおらかなO型の血のせいなのであろうか。

 

まぁ

いいんじゃない?どうでも(笑)

 

おおらかなO型の血が『うんうん』とうなずいている。

 

でもまぁ、我が家は大人家族なのでおかげさまで夏休みに入ったからといって子どもが家でわちゃわちゃすることもなく、宿題をしないといってキーキー怒鳴り散らかすこともない。

 

朝昼晩の食事の用意に一日中振り回されることだってないのだ。

 

いたって平穏な毎日を過ごせていることに幸せをギシギシ噛みしめているのである。

 

あぁ♡

一人でいただくお紅茶のなんと美味なこと♡

しあわせ♡しあわせ

 

そりゃもちろん我が家の子ども達が小学生の頃は、毎日髪の毛を振り乱してバトルを繰り広げていたものだ。

 

あの『長男との死闘』は後にも先にも海近家に語り継がれる凄まじい戦争であった。

 

今思い出しても、あんなツラい想いは二度としたくない。しかし夏休みの宿題で死ぬ思いをしたのは長男とのバトルだけで、次男と娘の二人にはそのような記憶はないのである。

 

長男は何せ頑固な人間なので、自分の意に反することは絶対しない!頑として譲らない!岩のような男である。

 

しかし次男はというと、後々私から大目玉を食らう長男の姿を目の前で見ているので、

 

が然、要領がよろしい。

 

はたまた次男と比べれば娘のほうが

 

もっともっと、要領がよろしい。

 

末っ子の女子と言うところが、その『要領のよさ』に磨きをかけているという訳だ。

 

 

そういえば、小学校の夏休みと言えば学校のプール解放がある。子ども達みんなが楽しみにしているプールなのだが、子ども達のアゲアゲテンションとは逆に母達の心中は穏やかではない。

そのプール解放時の『プール当番』なるものが、母たちに回って来るからだ。

 

『当番』と聞くだけで何故こんなに気持ちがサガるのだろう。

 

『プール当番』とは保護者が監視員としてプールサイドの四隅に一人づつ配置され、終了までの2時間をその場で子ども達の安全を見守りながら過ごすことで、プール解放期間中にその当番が一度回って来るのだ。

 

灼熱の太陽。うだる暑さ。

でもここは麗しのハワイではない~!

 

四隅にビーチパラソルを立ててくれてるが、ここはハワイのビーチではない~

 

ハワイならきっと我慢できる暑さも学校のプールサイドじゃ無理~

 

できれば大雨が降って、『プール解放中止になってくれ』とガチで雨乞いを試みたりする。

 

結局雨乞いは失敗に終わり当番当日、日焼け止めをテッカテカに塗りまくり、アームカバーに長ズボン、日傘とツバ広めの帽子にサングラスでこれでもか!の日焼け対策をしていざ出陣。

若干、その出で立ちは怪しい『偽セレブ』である。

 

やがて2時間を耐え忍んだあと、テカテカの『偽セレブ』は息も絶え絶えウエストに直行してキンキンに冷えた店内で生き返らせてただいていた。というのは私の実体験である。

 

もう10年以上前の笑い話しだ。

 

さて今年の夏はあまりの暑さにあちこちでプール解放も中止になっていると聞く。

 

子ども達はがっかりするだろうが安全第一!どうか母たちもバテないように残りの夏休み期間を頑張って乗り切って欲しい。

 

一人、優雅にお紅茶をいただきながら切に願う私であった。